| 1.H邸(越谷市) 2004年7月現在上棟

★その輝きを全方向に向けて放射する★
真正面から見ると、一見資本主義と分裂症(注1)のような形態であるが、この建築は空間概念を思考の普遍的対象であるとか、個々の対象が単に抽象化、一般化されたものであるとか
と想定して計画されたわけではない。
たとえば、空間快楽主義者のように欲望をとると主張する場合においても、それは知性によってなされるのであり、知性が、あとになってからその瞬間は決して永遠ではなかったとわかってみても、むしろそのような直観こそ、原型なしに自由奔放に想像を産みだす欲望の真の現われなのである。
人間は有限な諸力の組み合わせであるとするならば(注2)、諸力の関係が変異すれば、人間は変異することになる。
例えば、労働力が別の力と関係すると、労働者としての人間は、その形象を変容させることになる。場合によっては、労働者という概念そのものが終焉することにもなるだろう。(現実的には、加速度的に終焉に向かっているようだ。戦後の左翼系知識人が声高々に「賃労働と資本」(注3)を歌い上げていたのは記憶に新しいが、世界はむしろジャン・ボードリヤール的象徴交換(注4)の世界へ向かってまっしぐらだ)
さて、人間を「建築」に置き換えると、建築は、土地に定着するものである、壁は垂直である、窓は四角で開放されなければならない、近隣との調和を保つものでなければならない・・・・・・などといった概念が過去の諸力(定説)としよう、この建築は過去の諸力(定説)に違反したというよりもむしろ軽く乗り越えていくことをめざしている。
今、まさに離陸しようとしているのである。
過去の諸力を「欲望する機械」(注5)とみなして、それらを眼下に見下ろし、この建築はその輝きを全方向に向けて放射するのである。
(注1)「千のプラトー」 ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ <河出書房新社>
(注2)「言葉と物」「監獄の誕生」 ミシェル・フーコー
(注3)マルクスの著書 <岩波文庫>
(注4)「象徴交換と死」 ジャン・ボードリヤール <ちくま文庫>
(注5)「アンチ・オイディプス」 ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ <河出書房新社> |