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アプサラは歌い踊る供養女である。王や神をたたえる天女であり、神仏や霊をなぐさめる踊りの上手な森の精であったという伝説もある。
上はいずれもアンコール朝最盛期の都、アンコール・トムの中心寺院であるバイヨン(バイヨンとは「未知に誘う美しい塔」という意味がある)のアプサラである。
ある者はバイヨンにヒンズーの神々を見、また仏陀の大いなる奇跡や観音菩薩の慈悲を見た者もいる。あるいは他の者は須弥山や立体曼茶羅の構成と偉大なジャヤヴァルマン七世の観音信仰に着目して、バイヨンにクメールの宇宙観と神王思想のひな型を見ようとした。
アンコール朝が断絶してかなり経過した後に、アプサラダンスが考案され、それが内戦をこえて現在に伝わっている。アプサラの衣裳も装身具も踊りのポーズも、アンコール遺跡に彫り残されたアプサラ像を手本としている。現在では時々アンコール遺跡のテラスでアプサラダンスの夕が催される。プリマドンナである白(装束)のアプサラがスポットライトに浮かび上がる時、浅浮き彫りの美しいアプサラ像が舞い出てきたかのように感じられることがある。
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さて、ユビキタス社会の「アプサラダンス」ってどんな風になるかなって考えたのが、この作品bP37−14である。
幅員6mの西道路に面し、間口8.3m、奥行16.8mの矩形の敷地に建てられた。北、南、東と三方、家に囲まれており、普通に建てたら、冬は光はまったく入らない。そこで約2m×3mのバルコニーを東側、西側に分割して2ヶ所設け、その立上りの壁に大きく開口部をとり、2つのスカイライトと共に、そこからリビングルームに光をおとし込む仕掛けを考えた。(隣家からほどよい距離になる立上りの壁に、大きな開口を設けたのがポイントである)
リビングに接続する和室には坪庭からの光も差し込む。
階段手スリはアプサラのメタファーである。 |