10年以上前から設計事務所として(3種正会員)入会している(社)日本ツーバイフォー建築協会と独立行政法人建築研究所による「枠組壁工法4階建実大モデル棟」を数ヶ月前に見学したときの感想。
その前に、僕が独立以来ツーバイフォーをやり続けているわけをチョット話します。「トラウマ」と言う言葉が適切かどうかわかりませんが、小さいころに住んでいた家が木造軸組み(当時はツーバイフォーなんてまだ見ません)のバラックであったことや、上野駅から45分くらい(当時まだ快速はない)の我孫子はベッドタウン化が始まりだし、3万人台の人口が急激に増えだし、見るもお粗末な建売住宅や面白みのなさそうな家ばかりが網膜に写ったからかもしれません。ストックを優先した結果であるから致し方ないといえばそうなるのでしょうが。それらはただの木造で建てられていたことはいうまでもありません。そんな中で、子供心にあーいいなと感じた家は久寺家や土谷津に住む同級生の農家の家です。学校帰りに悪さをしたついでによく遊びに行きました。土間が広く、柱が太く、じいちゃんやばあちゃんもいて、農家独特のにおいがして、外ではワンコロが吠え、時々線香の煙が流れていて、庭には井戸がありよく飲んだものでした。床の黒光りはアルシンドの頭さえピカピカに照らし出してしまうくらいの明るさでした。当時久寺家に住む同級生にとっては、久寺家小学校もまだ無かったから、一小(我孫子第一小学校)まで1時間半は通学にかかったと思います。25分そこそこで学校までついてしまう僕は、この時点ですでに負けているわけです。だから帰りはわざと遠回りをして遊んで帰るのです。2年生までは久寺家の分校があったからまだ良かったが、3年になると雨風関係なく本校(一小)まで歩き続けるわけです。不動産のチラシで駅から歩いて15分なんていうのは、彼らからすればチャンチャラおかしくて笑っちゃうということになるでしょう。久寺家や土谷津の農家は信州や東北の雄大な風景の中の「里山」というほどではないのですが、バラックに住んでいる僕にとっては農家的状況空間にある種の憧れを感じていたのかもしれません。集落の中のひとつの区画された状況空間、そこには納屋があり、井戸があり、農機具があり、犬が吠え、正面に母屋が歴史を飲み込んでしまうほどの重さで建っているのです。「ずっとこのままだったらいいのに」と子供ながらに思ったものでした。夕暮れになると農作業を終えた人たちとすれ違いながら、いつも暗くなるまで遊んでいました。昔から続く歴史的生活空間が続いていたのではないでしょうか。それに対し今のユビキタスな状況はそれらを一つ一つ壊していってしまうような気がして寂しいかぎりです。前置きが長くなりましたが、まだ続きます。
効率と速さだけが最優先される社会。すなわち疲れるだけの面白みに欠けるつまらない社会。アメリカ型資本主義はいずれ崩壊するのではないかと思いますが、だからといってそれに変わるシステムがあるのか、あるいは現れるのかわかりません。遺伝子工学、コンピューター、ロボットあたりがさらに進化していろいろと変えていくのはなんとなくわかるのですが。古代、中世、近世、近代と続いて、成長と衰退を繰り返しながら歴史は繰り返されるとするならば、現代を近代の終わりのほうに含めると、やはり暗い中世の終わりのほうの再現ではないのか?と思ってしまいます。わかりやすくまとめると、
古代 (成長) ファラオの時代、縄文時代、古典ギリシャの精神
中世 (衰退) 弥生時代、ル・トロネ修道院、
近世 (成長) イタリアルネサンス、家康、レオナルド・ダ・ビンチ
近代 (衰退) 日露戦争、ブラックマンデー、植民地獲得競争
成長あるいは成熟 衰退あるいは停滞
古代エジプト、カフラー王 ロマネスクの修道院、弥生時代(稲作の
縄文式生活、古代ギリシャオリンピック 始まりとともに保管することを学習した
個人の権力や富を誇示する要素が何も 結果、戦争の勃発が部落間で起こった)
ない古代ギリシャの土器の文様、 ホリエモン(株券パー)、登校拒否
ヴィーナスの誕生、ブルネレスキ、 平安京の落日後、金正日、イメルダ夫人
共生の大地としての「日本国家」 秀吉の朝鮮出兵、真珠湾攻撃
縄文時代の高床式住居 、江戸幕府 村上ファンド(市場経済至上主義)
「ひとりごと」を読んでいるあなた 衰退の前触れとしての少子化
「黄桜」中毒患者のほろ酔い気分 「ネット」中毒患者の発言、たわごと
サンタマリア・デル・フィオーレ大聖堂 末法思想としての宇治平等院鳳凰堂
成長と衰退の対比をしたわけですが、多少アバウトなところもありますが大きく外れてはいないでしょう。そもそも島国日本では、縄文以来、いやそのずっと前から人々は共生してきたわけです。仏教では共生を「ともいき」と言うそうです。当時、子供ながらに農家を見ていると「共生」を感じたものでした。NHKの「明るい農村」が思い出されます。
さて、開発の波となると効率と速さが尊ばれ、一気に表層を変えてしまいます。つくし野や布施新町はすべて田んぼでした。夏休みになるとよくカエルやザリガニを取りに行ったものでした。そのあたりはすべて埋め立てられ、60坪くらいの敷地に分割され住宅地となったのです。街並みは整然としているのですが、綺麗で小さな家は「農家」のイメージが離れない僕にとって感じるものがなく、むしろ自分が持っている田んぼでもないのにその田んぼが無くなってしまったことのほうがとてもショックでした。普通に考えると、これからもっともっと発展していくのかなと思うのでしょうが、僕が変わっているのかもしれませんが、そのような発展による期待はまったくありませんでした。子供のときに「小さい秋見つけた」という感じがあったと思いますが、「小さい秋なくした」という思いでした。
子供のときの思いはちょっとやそっとでは変わりません。そこで僕の心から田んぼを奪った新興住宅地の効率的な「お粗末な木造在来住宅」と「農家の家」という図式がついに成立するのです。(効率的とは、早く埋め立て、早く建て、早く売りさばくと言う意味です)じゃあ、農家風の家を設計すりゃいいじゃない、しかも在来で、ということになるのでしょうが、ことはそう単純ではありません。独立して、農家風の家を建てたいなんていう依頼者は一人もいなかったのがわかったのです。考えてみれば、地縁や血縁で成立する農家の建築に海のものとも山のものとも分からない設計者に任せるわけありません。しかし依頼者の多くが農家住宅の対極にあるような家を望んでいるということも、不思議というかなんともいえない気持ちでした。たしかに300坪の敷地にドテッと建てるのと、50坪あるいは30坪の敷地の中で建てるのでは、設計の根本的考えが違うのはいうまでもありません。農家住宅の欠点である、冬寒い、キッチンが暗い、ソファーを置ける部屋がない、メンテナンスが容易でない、収納が少ない、動線が悪い、畳が多すぎる、ミセスのことを考えた間取りではない・・・・など現実を直視し、欠点を克服した要望が主題となりました。すなわち農家住宅に対して「都市住宅」の誕生です。農家住宅は欠点もあるかもしれませんが、そこではシックハウスの問題など聞いたことがありません。そこのいいところは取り入れてもいいのではないかとも考えました。独立以来(1985年)無垢のフローリングや塗り壁にこだわっているのはそういう理由からです。ちなみに僕のオフィス(1987年建築・枠組壁工法)で採用したいくつかの建材を紹介いたします。
床:オークフローリング(19ミリ厚)「ヒッカーソ社」、ロビンソンコルクタイル
窓:木製2重ガラス窓「アンダーソン社」
スカイライト:ロト社、ベルックス社
壁:ウェスタンレッドシダー、スウェーデンパイン
タイル:オランダのマッカムタイル
巾木、ケーシング:ヘムロック無垢材
構造用合板:ダグラスファー(米松)
などですが、輸入材を多く採用しているのは先ほどの新興住宅地の「お粗末な木造在来住宅」に対するアンチテーゼであることはいうまでもありません。加えて冒頭の「お粗末な建売」が木造在来軸組み工法で建てられていたことも理由のひとつです。外観は農家の大屋根をモチーフにして単純切妻、そして瓦を葺いています。長く住み続けられる「農家住宅」に対して、「チープな木造軸組み住宅」(その多くが伝統的真壁方式でなく、大壁方式である)という図式にオーバーラップして、長く住み続けられる「枠組壁工法」に対して、「チープな木造軸組み住宅」が成立したのです。長く住み続けられる「枠組壁工法」の設計を手がけてみようと思ったもうひとつの理由として、独立する1年位前にニューヨークに旅行した時にチョット足を伸ばして、プリンストン大学近郊の住宅地を見て回ったことがあげられます。直感的にハウスでなくホームだと感じました。建築してから60年くらい経っている木造住宅(枠組壁工法)はざらにありました。国や宗教、そして地政学的状況がまったく違うのに、なんとなく「農家住宅」を思わせる空気と言ったようなものを感じたように記憶しています。共通点として「情景」「心象風景」といった言葉が当てはまりそうです。その構造、建築材料、工法、スタイルがまったく違うのに不思議な感覚ですね。今にして思えば両者の決定的な共通点は「建築への意思」が見て取れたということになるのではないかと思うのです。里山に点在する集落の中の「農家住宅」に対して、田園風景の中の「コロニアル住宅」という位置づけです。
住宅設計を始めて、材木の供給や植林、奇怪な供給ルート、ムクの柱のひび割れ、大工の出来、不出来による品質のばらつきなど問題が山積みな国産材で造られる木造軸組み住宅をさしあたって否定したのは、僕のほかに実はオーナーであったわけです。家は地元で生育した木でつくる、とうたっているところもありますが、大壁にして石膏ボードで覆ったら元も子もないわけで、まして耐震性は枠組壁工法に比べ格段に落ちるわけですから、やはり地元の材木を使うなら伝統的木造真壁工法で造りたいものです。(県産材といっているが、ちゃんと植林のことまで考えているのか?)しかしながら、真壁だったら耐震性は保たれるのか?と言う問いに対して、あの阪神淡路の悲劇が木造軸組み供給者に問題を突きつけたのも周知の事実です。悲劇の誕生とはこのことをいうのです。よく考えてみてください。あれからまだ10年そこそこしか経っていないのです。「コロニアル住宅」はメンテナンスを重ねながらであったとしても、平気で70、80年健康でいられるのです。今でこそ軸組み工法自体さまざまな改良がなされ、特殊な金物を使用した新工法などが多く出てきていますが当時はそのような状況であったのです。当時から見れば今の木造住宅工法は、さながらカンブリア紀(さまざまな生物が出現した時代)ということがいえるでしょう。
さて、今回の4階建てモデル(147,8平方メートル)では主に
分譲型共同住宅に求められる界床および界壁の耐火性能、遮音性能
4階建て建物の沈み込み量、風、および交通振動性状
4階建て耐火建物の施工性、その他の技術検証
が行われました。モデル棟の仕上げは屋根は平板陶器瓦で、外壁は窯業系サイディング、不燃処理天然木下見板、炭素繊維混入軽量コンクリートパネル、床はフローリングと、仕上自体は一般的な材料を使用しています。タイダウン金物など3階建てでは使用しない接合金物や振動性状を測定する小屋裏起振機、床下沈み込み量測定器など主に耐火、耐震の安全性の確認のための実験が行われています。カナダ、アメリカでは5階建ての共同住宅もよく見られますが、地震国日本でも高層枠組壁工法共同住宅がそう遠くない時期に建設されるようになるでしょう。しかし、もともと木は燃えてしまう材料ですから、内外と共に不燃化するためのコストが鉄骨造に対してアドバンテージを出せるのかが課題として残ると思います。この一点が気になっています。5階建てまではいけそうな気がしますが、首都圏は大手のディベロッパーに土地活用による宅地はほとんど支配されているような感じ(ノウハウがあるので仕方ない)に思われますが、むしろ地方都市の起爆剤として集落形成みたいなことに活用したらどうでしょうかね?住宅だけでなく職、住、店舗、医療、教育などの複合型建築として、じいちゃんもばあちゃんもわんころも僧侶も浪人生もセールスマンも学者もエロかっこいいおねえちゃんも左官屋さんも絵描きも町会議員もみんないたらオモシロイヨ・・・・・・
2006年 霜月
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