家相を最優先させて建てた輸入住宅 

宮本俊子さんが、最愛の夫を失ったのは、10年前。ご主人は、世界中を飛び歩いて精力的に仕事をしていたタフマン。56才という早すぎる死でした。

成人しているとはいえ、3人の子供とともに残され、その死が信じられず、なぜこんなことになったのか、いろいろな本を読み、話を聞き、自分に納得できる答えを探しました。

その結果、行き着いたのが、家相。ご主人が建て、一緒に住んできた以前の家は、実は、ご主人にとっては家相的によくない家だったのです。

平成5年、宮本さんは、長年住み慣れた家を売りにだし、5月に売却が成立、仮住まいに移りました。それからは、毎日の様に建売住宅を見てまわりました。建売を探したのは、注文して建てるより簡単だと思ったから。

ところが、半年以上いろいろな物件を見て歩きましたが、どれもダメ。家相が良くなかったり、家相は良くても入居の日取りが家相で勧める日にかなわなかったり.....ここまで探してもぴったりなものがないなら、もはや自分で建てるしかないと決心。

たまたま、住宅誌「新しい住まいの設計」に掲載されていたアーキヴィジョン設計の作品をご覧になり、「家相を最優先した輸入住宅」というテーマで、設計を進めることになりました。

 

 

家相に挑戦した、住み手にとって理想の住まいが完成

設計と家相の照合では、俊子さんの長男の俊秀くんが、心強いパートナーとなりました。俊子さんが巳年で、俊秀くんが辰年。2人の年まわりからすると、東南に張り出しを設けた家がベスト。ところが設計図では、家の東南にあたるリビングに張り出しがないだけでなく、隣家からの採光を考えて、東の壁面に、家相上は好ましくないクボミ(欠け)がありました。

そこで、クボミをなくし、リビングを横に少し狭くして、そのぶん、東南に張り出しになる半円形の出窓をつくりました。また、吹き抜けをつくる予定も、家の気が集中できないということで、急きょなくすことに。

玄関ドアを、吉である東向きに開くようにしたり、鬼門線(鬼門である東北と裏鬼門の南西を結んだ線のこと)上にガスレンジやスイッチプレート、コンセントなどがこないようにしたり、サッシをはめ殺しにしたり。エアコン室外機や床暖房オイルタンクなども鬼門から外れるよう、設置のし直しをしました。

設計上は、開口部分になるはずの2階の南西(裏鬼門)角の部屋の西向きの窓を、やはり家相上よくないということでなくしてクロゼットにしたり、台所から風呂場へ一直線のはずの通路を壁面で区切ったり、2階の人が1階の仏壇の上を歩くことがないようにと、仏壇と床の間の位置を逆転させ、仏壇の真上(2階)を物入れにするなど、基本図面を家相上のあらゆる角度で検討し、何度も描き直しました。その結果、最終的に、家相上、完璧な輸入住宅ができあがりました。

施工にあたっては、カナダから3人の職人を招きました。木材も壁に貼る石も輸入材。まさに、輸入住宅ならではの重厚感あるできばえになりました。

宮本さんたちが入居したのは、1995年1月末。実際には、まだドアなど、一部未完成な部分がありました。が、入居の時期が、家相では節分前でないといけないということで、とりあえず入居だけは済ませました。

家相をすべて取り入れ、輸入住宅の持つ良さや、床暖房など最新の設備を備えた家。それは、建築家の工夫の結晶でもあります。